よく、来てくれたナ
「来月か、再来月、又来るけんね!」
靴を履きながら、頼もしい背中を見せて、足早に次男は東京へ帰って行った。
来月だなんて?嬉しい嘘をついたわね!にやけた顔とは心はうらはら、複雑な胸の内の私でした。
嵐のごとくに現れて、轟音高く去って行った。滞福4時間の「次男の里帰り」
今から30年ほど前、理由あって、妹の次男・Yの高校三年間を見守ってきました。
多感なコトナ(子供と大人の間を守りすることは、難しくはあったがまぁ上手くいったかな?
その年、倅が大学生に成り、家を出て行った。入れ替わりに納まったYは私のいい相棒となった
幼い時から、近くで見てきた彼は、スポーツマンで、活発な良い倅になって助けてくれた。
3年後、東京の学校へ旅立つ日、夕食の時私は思い切って言った。
「Y君、ここでは、これ以上頑張れそうに無いナと思ったら止めていいよ。無理することないよ」
我が倅には言った覚え無いこの台詞、私が結婚するとき、母が言うてくれた、無責任な言だが私には嬉しかった。
彼は、3年生にはならず、バイトに勢を出しその仕事を選んだ!私はなんんとなく簡単に納得(?)したもんだ。
バイト先のコンビニの推薦で親会社の中途採用試験を受けて合格、採用された職場は イトー〇〇とか!
職場は合ったのね。良い人に恵まれ結婚、埼玉に家を持ち、息子二人に恵まれ頑張っているといった情報が次々入る
昨年の正月、長男が希望校に落ち一浪に決定(今年は合格)少し落ち着いたら伯母の事が気になった
20日、日帰りで帰るからね。何所へも出ないでね・・・ラインを送ってきた。何年ぶりになるかなぁ?この再会は!
東京発7時、到着は11時前、3時にはかえるという、とんぼ返りの忙しい小父さんになったYは48歳になっていた
四年前から、新宿・医科大学(とかの)まえにコンビニをだし、この4年間順調に運び、余裕が出来た。
何の苦労もなく、屈託なき笑顔からは、婆が考える24時間営業の生活サイクルの職業楽しんでいる風に見えた
希望校進学が決まった長男の事、高校生になった下の息子の事…お喋りは切れることも無く、聞きたい、知りたい私
東京って、ここ地方から考えると、幼いころの記憶では、お上りさん、花の東京、修学旅行なんて・・・・遠い存在だったヨ!
今でこそ、渋谷のスクランブル交差点とか、豊洲の市場、日常的に看たり聞いたりしてるけど。首都東京は東京だ
2年ほど前、都内観光して目いっぱいおのぼりさんした。あの街を車で駆けまわり、今を生きているんだね。
昼食を共にして、悲しいけれども別れの時が来た。会うのは良いけどこの別れが付いてくる!
簡単に日帰りできることを知り、また、来ることを口にしたが
お互い、それが難しいことも知っている。会いたいという願望だけは先行して一人歩き!
高校生の3年間が貴重なものと知りました。あの年月に変わるものはないと、タクシーを見送った!